ラ・カンパニュラ

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2011.10.07 Friday

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2008.11.09 Sunday

父の背中〜日常編

本日、日曜日。
相も変わらず休日をノーテンキに過ごしておりますが、昔話をぽつりと。。。

私の家が米屋を営んでいたことを、以前にもちょっとばかり話しました。

養父は意見の相違から米穀組合を脱退して問屋を介さず、産地直送という新たな手段をとりました。

養父と仲が良かった組合員は、誰もが止めたそうです。

『組合を敵に回してやっていけると思うのか?』

『今なら気の迷いで済ませられる、考え直せ。』


でも頑迷な養父は曲げませんでした。
外側の人間に、どれほど頑迷と思われていたか分かりませんが、
私には、そこいらに居る親父であり、怖いけど愛して止まない存在であり、
家庭の中で思想、理想、思惑を窺い知る事など無かったので、
そんなイザコザがあったことなど、オトナになるまで知る由もありませんでした。

組合を脱退してから、養父はたった1日の休日である日曜日を返上して、
産地から直送される米を精米していました。
たった一人、誰も居ない精米工場で機械を動かしていました。
母が作ったおにぎりを持って。

月日が流れ、次兄が家業を手伝うようになり養父は配達を兄に任せ、平日に精米作業が出来るようになり、
やっと週1日の日曜日をのんびりと満喫できるようになりました。

***************************

それでも養父の日曜日は早かった。
6時半に起きだし、冷蔵庫にある卵を二つ取り出す。
寝巻き姿のまま、普段は立ち入らない台所に立つ。

何をするかと思えば、目玉焼きを焼いているのである(笑)。

養父が作る目玉焼きは絶妙だった
料理が嫌いな養母が作る目玉焼きは、底は焦げ付いているのに、表面は生のまま。

「いい感じの半熟でしょ?」

なんて暢気に笑っていたけど、美味いと思ったことはありませんでした(ごめん・笑)。

養父の目玉焼きは、、、
フライパンを十分に熱してサラダ油を少々。
すかさず卵二つを割り入れて、白身が大きな気泡を発してぐつぐつとなる直前に
コップ半分の水を入れて蓋をする。
火を弱めて約1分弱の蒸し焼き。
時間を見計らって火を止め、蓋を取るれば、目玉にうっすらと膜がかかり、ふわっとろの目玉焼きの
出来上がり。

お行儀悪いけど、養父は出来上がった見事な目玉焼きを皿に盛ることをせず、
醤油をジューッとかけて、フライパンごと食卓へ。

そして朝っぱらからコップ酒。
絶妙の目玉焼きと、日曜日に放映されていた時事放談を肴に飲み続けた。

養父が亡くなって早くも20年以上経つけれども、今でも日曜の朝は目玉焼きに醤油をかけた
香ばしい香りが漂ってくるような気がするのである。。。

★KOKIA (ありがとう・・・)歌詞付き


養父は本当に酒を愛していました。

酒を呑み、荒れることも度々ありました。
家柄は養父の方が遥かに良かったのですけども、貧乏な米屋の娘を見初めて所帯を持つにあたり祖父は、

『娘をくれてやるからにはこの米屋を継げ。そして継ぐからには自身の家柄を捨てて養子になれ』

そう言い放ったそうです。

祖父にしてみれば、こうでも言えば諦めると思った程、その頃の養父と養母の家柄には格差があったので。

そして、養父は全ての条件を飲みました。
余程養母に惚れたってことでしょうね。。。(^^)


家柄の良かった養父が貧しい米屋の養子になり、生涯を通じて養母の実家に応えましたが、
養父の言葉にならない想いが、辛さが、時には養母を苦しめました。

私がまだ小学校低学年の頃、酔って帰った養父を養母が詰ったことがありました。
養母の鋭くて痛い棘に刺された養父が、傍らにあった食卓の椅子を養母に向かって振り下ろす瞬間を目撃し、
幼いワタシはありったけの音量で泣き叫びました。

「お母さんを苛めないでっ!お父さんなんか大嫌いっ!」

養父はその言葉で萎えました。

その夜、私が眠りについたころ、養父が傍らに寄り添い、「ごめん、ごめんな、ごめんな」って
ずっと泣きながら言い続けていました。

そんな言葉ばかりを繰り返していたことを、起き出すことも出来ずに寝たふりをして聞きながら
幸せで嬉しくて仕方なかったことを思い出しました。

養父が生きているうちに、酒を酌み交わしたかったなぁ。

墓前にカップ酒を置いて火をつけた煙草を供えるだけじゃ、淋しくて淋しくて、

『いくらナンでも早すぎるだろっ!』

などと今でも尚、悪態をついてしまいます。

けれど最後まで言えなかった「ありがとう」って言葉は、貴方が死んでしまうことを認めたくなくて、
ずっと言いたい言葉であっても、言ったが最後、貴方が消えてしまいそうで、、、。

貴方の子供にしてくれてありがとう。。。







照れくさいから、もう二度と言わないからねっ(笑)













2008.11.06 Thursday

こんなご時勢だからこそ

暗い現実にばかり目を留めるんではなくって、
いい話、いい話。

大和心とポーランド魂




みんな、日本人も捨てたモンじゃないよ。

こんな時代でも、自分の心は失わないでおこうね。

外では色々あるけど、正したい想いもあるだろうけど、、、、ね。


 


 


2008.10.28 Tuesday

ごめんね、許してね(-人-)

 人には過ちってモンがある。
若かりし頃だけで済むものでなく、いい歳くったヤツらにも、過ちってモンはある。

鯱美(とらよし)の謝りたいことリスト

・養父にせがんで飼ってもらったわんこ(柴犬・五郎)の世話をきっちりしなかったこと。
 ・・・ごめんなさい。
   散歩も餌やりも、いつしか「ええぃ、面倒くせぇ」って感じになっていました。
   いつも一緒に居てくれたのにね。。。

・5歳の時、養母が庭先で雀のヒナを見せてくれて「触ったらいけないよ、そっとしておいておやり」
 ・・・ごめんなさい、あまりにも可愛くて触ってしまいました。
   触っているうちにこの雀のヒナは、私の掌の中で動かなくなりました。
   言いつけを守らなくてごめんなさい。

・母に借りた大切なブローチ、どこかで落としてしまいました。
 ・・・代わりになるモノなんて無いよね。
   ごめんなさい、ごめんなさい。
   未だにちゃんと謝れてないんだけど、ごめんなさい。
   ブローチの代わりになるもの、今一生懸命探しています。

・元旦那様と暮らしていた頃、共に暮らした柴犬2匹。
 ・・・だいちゃん、ふくちゃん、最後まで一緒にいられなくてごめんね。
   五郎くんへの懺悔の気持ちもあって、君達と最後まで付き合うつもりだったんだけども。 
   ごめんね、ごめんね。

まだまだたくさんあるけど、たくさんあるけど、、、。

BRYAN ADAMS : PLEASE FORGIVE ME




若かりし頃のブライアン・アダムス。
妖精監督にそっくりだと思ってしまうのは、私だけだろうか?(笑)


 


 


2008.10.26 Sunday

怒りと悲しみの収め方

7ヶ所に診療断られ妊婦死亡 脳内出血、赤ちゃんは無事


痛ましい事件です。

墨東病院は、緊急対応を必要とする妊婦や新生児を受け入れる都が指定した医療機関。当直に当たる産科医師の1人が退職し、妊婦が搬送された今月4日の土曜日は研修医1人が当直していた。都は、指定医療機関としての態勢に不備がなかったか経緯を詳しく調べる。

そんなこと言ったって、再発防止にはなるかもしれないけど、亡くなった方はどうやっても戻ってこない。

納得できない対処によって、失われずともよかった(かもしれない)命が消失したのは、
ご主人をはじめ遺族の方々には怒りと悲しみでやりきれない思いでしょう。

出産は命の危険が伴います。
病気でもナンでもない健康な女性が、ほんの少しのタイミングのズレで命を落とすことでもあります。
けれど、闇雲に医療技術が進歩し、医者にかかれば安心という神話も生まれてしまいました。
昨今の産婦人科の激減は、相次ぐ死亡事故を責め立てられ産科志望者が減少し、廃業する産科が後を絶たないことに起因しています。

私は41年前、愛知県内の或る産婦人科で生を受けました。
実母は小柄で痩せていたため、普通分娩は危険と診断されて帝王切開することになっていました。

しかし、出産当日になって普通分娩をすることになり、、、
出産後、医者に「ありがとうございました」の一言を残し、意識を失ったそうです。
それから3時間後に息を引き取りました。
死因は出血多量。

遺体洗浄のため別室に運ばれていった時、看護婦さんが手早くベッドのシーツを剥がしましたが、
そのシーツは血で真っ赤に染まっていたそうです。

このケースは完全なる医療ミスだと思いますが、産科に詳しい専門家の意見はどうなのでしょう?

体格の問題で帝王切開を余儀なくされていたのに、それが手術時の医者にきちんと伝わっていなかったこと。
術後の対応の不備。

養母は「病院に問い正したいことなどいくらでもあったけど、そんなこと言うと、うちの家族や親族はみんな診療拒否されちゃうからね…」

そう言って一言の恨み言すら残さず、粛々と病院を後にしたそうです。

やりきれない思い。。。

勇気を持って訴えるという手段もあるかもしれませんが、私にはなんとなく嫌なんですね。
賠償金を巡って裁判など、、、命に値段などありませんから。

起こってしまった不幸な出来事、それがたとえどんなに理不尽な事であっても、ぐっとぐっとこらえる。
昔はそんな時代だったのですけども。。。

この事件のご遺族が、どう動くかは見ないことにします。


やりきれない想い。。。
やりきれない想い。。。

心ん中で収めるのは、相当な覚悟が必要です。
そんな覚悟も、、、時にはするべきだとも思うのです。


George Winston : Longing Love



泣きたい時は泣きましょう。
笑える日が来るまでの準備期間なのですから。



2008.10.19 Sunday

飲んでぇ〜飲んでぇ〜飲まれてぇ〜飲んでぇ〜。

パソコンをいじってって

「高円宮」を変換すると

「高窓飲み屋」

「聴取料」を変換すると

「超酒量」

機械にからかわれているのか、気が効いたシャレなのか?

毎年酒量が確かに増えており、友人とのメールのやりとりも飲み約束ばかりだから無理もないか(笑)


お酒にまつわる失敗など、数えあげたらキリがないけど
一番酷かったのは5年前、4年勤めた会社を辞めるにあたり送別会を開いてもらった時のこと。

送別会を開いてもらったのは、退社を1週間後に控えたある日。
わりと大きな雑居ビルの一角にある創作料理の店でした。
お開きになる直前に私からの一言と社長からの花束贈呈という場面。

その時にはもう相当酔ってはいたものの、「ここはひとつビシっと決めにゃイカン!」と気合を入れるため
化粧室に行き化粧直しをしようと席を立った。

しかし・・・見つからない。
ビルのワンフロアを探しても無い。
一つ上のフロアに行っても無い。
一つしたのフロアに行っても無い。

そのうちに何がなんだか分からなくなり、「トイレが無いなら帰ろ帰ろ〜う」と決めちゃった。

「ええい、駅まで歩くのも面倒くせぃ」

とばかりにタクシーで自分の部屋まで帰宅し、そのまま朝まで爆睡。

朝起きたら、携帯に着信とメールがわんさかさっさ。

「朝っぱらから何だ?」と内容を見れば、部下や同僚からのものばかり。

「何処にいるんですかっ?社長がお待ちですよーっ。」
「早く戻って来てくださーいっ!」

などなど。

夕べの記憶が蘇り、真っ青。冷や汗タラタラ。
どんな言い訳をも思いつかないし、思いつくわきゃない。

出社し、社長に平謝り。
そしたら社長は「ちゃんと帰れましたかぁ?ふほっふほっふほっ」とにこやかに笑っておられました。
(よかったぁ)

そんでもって、部下にも同僚にも上司にも幹事さんにも。
ほんっとにかっこ悪くて肩身の狭い思いをいたしました(苦)


中島みゆき : タクシードライバー



女だてらに飲みまくり、終電を逃してタクシーで帰宅することになったことも度々。
タクシーの運転手さんと楽しく会話するか、寝てしまうことがほとんどだったけど
一度だけ、車中で大泣きしたことがあった。
泣くことなどほとんど無いので、その分激しくて(笑)

その時は、信頼しとてもお世話になっていた上司が辞められた日だった。
最後の挨拶で握手を求められたら、一気にあふれてきた。
タクシーに乗り込みずっと泣き通しだった。

そのときの運転手さん、見かねて
「何か辛いことでも?」
「お、お、お世話にっ、なった・・・上司がっ・・・辞められることにっなって・・・残念で・・・ううっ」
「そういうこともありますが、しっかりしなさいよ。」
「はい、ありがとうございます。」

この曲を聴くと、お世話になった上司とあの時のタクシーのおじさんが鮮やかに蘇ってきます。

今は終電に間に合うように飲んでます(笑)






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