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前々回のエントリーからの続きです。
早速いきます(笑)。
が、、、その前に少しだけ触れておきます。
今回、私がアタマを抱えて読み勧めた記事についてですが、
この記事に関わる人が4人居ると思っていました。
【質問者】 【通訳】 【執筆者】 【写真家】
しかし記事のクレジットを見ると、
文=田村修一
写真=杉山拓也
通訳の名前は載らないことがほとんどなので、ここで初めて、記事に関わったと思っていた
【質問者】と【執筆者】が同一人物だと知りました。
田村修一(タムシュー)さんを敬愛する方、数々の失礼な発言をお許しくださいませ。
この記事は、田村氏がオシム氏と久しぶりに再会した時の情景と感慨から触れています。
この部分の文章は、ごくごく普通の文章です。
ここで申し上げた「普通」という意味は、とりたてて可も不可も無いという意味で
特徴が無いと言いたいわけではありませんので、あらかじめご了承ください。
後に乱れるのは「オシム氏との質疑応答」部分だけです。
これらのことを念頭に置いていただいて、再開です。
イグザンポー2) よく分からない専門用語をわかったようなフリして書き連ねるについて
一昨日示した二つ目の文章を、同じく再び表記します。
それぞれの選手がポリバレントな役割を担い、しかも全体がアンサンブルでひとつになって動ける。
戦術は基本的には4-4-2で、、、当初は3バックから出発したが、状況に応じて4-2-3-1や
3-4-3に変わる。
そしてテクニックに優れた選手が、2列目から飛び出して得点できる。
また○○(選手名)のパスセンスを生かすために、中盤の他の3人が○○を助けるイメージだった。
昨日と違い、専門用語のオンパレードです。
ですから書き換えの前に、まずはその専門用語を知ることが重要です。
はい、調べてみました。
ポリバレント、、、サッカー用語で1人の選手が複数のポジションや役割をこなすこと。
日本代表監督のイビチャ・オシムが代表チームの選考基準として
挙げたことから注目されるようになった。従来のようにフォワードは
ただゴールを目指し、ディフェンスは相手の攻撃を身を挺して阻止するといった
役割分担に終始するのではなく、ディフェンスの選手であってもゴール前まで
行ってゴールを決めたり、フォワードもディフェンスラインまで下がったりして
プレーするのである。
基本技術がしっかりしていて運動能力が高く、的確な判断力をもった選手は、
どのポジションでも活躍できるということだろう。 (yahoo辞書より)
アンサンブル、、、調和のとれた組み合わせ(多くは服飾用語として使われる、、、けど。。。)
まったく。。。
この2語を理解すれば、この文章はお笑い草。
ポリバレントという語句自体に「役割をこなす」という意味が含まれており、もはや日本語の
単語として表現することは不可能。
にもかかわらず、無理して使ったがためのグダグダな文章。
専門用語に日本語が飲まれた典型。
ムンクの「叫び」が脳裏に蘇った
あ゛〜〜〜〜〜、や゛め゛て゛く゛れ゛〜〜〜〜〜っ。
(以上、鯱美の「叫び」でした。)
そして次、問題の次の文章。
「アンサンブル」が「調和がとれた組み合わせ」を意味することを知れば、
この文章などは、奇怪で、単純で、意味不明な語句を連ねて纏めようとしているのと同じだ。
もはや爆笑だった。m(>▽<)ノ〃バンバンバン
みなさん、繰り返し口に出して言ってみましょう!!
全体がアンサンブルでひとつになって動く。
全体がアンサンブルでひとつになって動く。
もう一度ォ。
全体がアンサンブルでひとつになって動く。。。
素人のワタシが笑えるのだから、ホントに蹴球ライターが書いた文章なのかと疑ってしまう。
ここまで酷いと、オシムさんの言葉を借りてお笑いネタを書いてるとしか思えないのだけども。
なぜ分かり易い日本語で書かないのだろう?
まったく。。。
もう、ここまでくると書き換えなんてどうでも良くなっちゃうんだけどもね、
オシムさんが実際におっしゃってる言葉と思われてしまうと気の毒なのでね。
一人一人の選手達が攻撃に、守備に、多角的な役割を担うことによって
11人に調和が生まれ、纏まりを保って動けるようになります。
戦術は基本的に・・・(割愛)・・・3-4-3に変わり
それによって生じたスペースを見逃さない鋭い選手が、2列目から飛び出して得点に繋ぐことができます。
(以下割愛)
続いて三つ目
イグザンポー3) 質問者もワケがわからなくなるについて
彼らを前線でもっと活用すれば、スペインのようなスタイルもできたし、オートマティズムも構築
できるはずだった。アーセナルのようなダイレクトプレーも可能だったと思う。トライアングルを
作りながら、スピーディーにパスをつないでいく。そのうえで××(選手名)のようにサイドを突破
できる選手や、オーバーラップしてサポートするサイドバックも必要になってくる。
もう書き換えは止めにしますが、ツッコミをいくつか(笑)。
延々と横文字が並んでいると、イザ、海外のチーム名が出てきたりすると、また専門用語かと
思ってしまう方も中には居るでしょう、、、。(え?居ない?)
流石にわたくだって、アーセナルくらいは知っておりますけどね(笑)。
オシムさんのような方がアーセナルを引き合いに出したということは、アーセナルがいかに素晴らしいチーム
かいうことに他ならない。
そして、オシムさんは、多くのヒントを述べておられます。
オートマティシズム、ダイレクトプレー、トライアングル、
けどこのライターはやはり具体性が無い。
だからアーセナルというチーム自体も、戦略も曖昧になってしまう。
オシムさんが語る言葉を専門用語と決めつけて、なんの捻りも工夫もなく書き連ねるだけ。
まったく、ビッグでラージなミステイクがヒュージプロブレム。
多くの著書があるそうだが、自分がサッカーの専門家であることに酔っているとしか思えない。
本当にオシムさんの言葉を伝えたいのであれば、投稿の内容は、常に知識のないサッカーファンに
語りかけるように書くべき。
戦術面に関しては、はっきり言ってワタシは無知です。
今回の2度の書き換えも間違っているかもしれません。
しかしプロの書き手であるならば、丁寧に書くことは必須条件です。
お金を貰ってるわけだし、客にはお金を出させて買わせているのだから。
斬新な専門用語を駆使しても、伝わらなければ書く意味など無い。
取材申請に応じてくださった(しかも5時間だという)オシムさんの言葉を、めちゃくちゃな文字で埋める行為は
自己満足以外の何者でもない。
読み手が戸惑うことなく読み進めるには、簡潔な文章でなくてはいけない。
長からず、短からず。
挿絵も写真も無くとも、文章だけでその場の情景と雰囲気が伝わるように丁寧に書かなければ、なかなか読み手には伝わらない。
文章自体は稚拙であったとしても、何時までも印象に残る文章が書ける人こそが本物のライターだと思うのだっふんだ。
因みに、わたくしの文章は、小学生の絵日記を読んでるみたい、、、ってよく言われます。
ははははは
お時間を頂いております。。。
えー、まだ、、、次のエントリーをお送り出来ない模様です。。。。。。。。。。。。ね。。。。
では、しばらくの間、以下のサイトをお楽しみください。
蹴球マニアには、、、なかなか興味深いシャレではないかと。
えいっ。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~tokura/players/players2.htm
*******************************************************
それはそうと、わたくしの嫌いな、よく使われる蹴球用語を。。。
【運動量】 非常に便利な言葉。
『体力があり、なお且つよく動く』という意味のようですが、よぉく考えると意味不明。
どんなスポ−ツにおいても、試合毎に動きは違います。
単純に持久力とか、働き者、と表現した方が分かりやすい。
焦点がブレた状態ながら専門用語になった典型。
【存在感】 「圧倒的な存在感を示した」ナドと使われるけれども、存在感は示すモノではなく、
見ている側の勝手な感覚。
でもって、何故そんな感覚を覚えるかといえば、ただ単に「目立つ」から。
走る、動く、跳ぶなど、至るところで効き、光るから目立つのだ。
存在感なんていう大雑把な表現をするのは、明らかに語録不足。
TV番組などで、どうしても短時間でナレーションをしなければならないなら、
『やはり○○選手の存在は大きい!』 これで十分でしょ?
【仕掛ける】 プレーは流動的。
選手は常に激しい動きの中で一瞬のチャンスを狙っているのに、この表現は
机上のゲームを見るかのようで、停滞しているように感じる。
よく分からないけども、攻撃的であることを表現するには、これまた一流の
俄か専門用語に思えてしまう。
『狙う』だけじゃ不足かね?
【削られる】 下品な言葉の一種。
試合中に選手が倒されたり、怪我をさせられたりすること。
女性サポが得意げに口にする場面に出くわすと、敵意すら感じる。
【技 術】 ただ好みの問題(笑)。
けどこれも大雑把過ぎ。
「運動量」以上に使用頻度の高い語句なので、ウンザリする。
ま、実際私も前の2つのエントリーで使っちゃったけどね(笑)。
けど、専門家がいつまでもこの言葉に逃げないで欲しい。
特にモノ書きでメシ食ってるライターさんにはね。
具体的な技術をキチンと挙げるなり、技法とか技能という単語との使い分けも
して欲しいな。
特にモノ書きでメシ食ってるライターさんにはね。
専門用語と横文字に騙されるなぁ!(笑)
では再び、、、しばらくお待ちください。。。
2008年11月17日(月) 午後10時00分〜10時49分
総合テレビ
この番組をご覧になったでしょうか?
初回放送を逃し、再放送を見ようと思っていたら日程の勘違い。。。
かと思いきや、勘違いでなくなんとか見ることができました。
11月19日深夜再放送。
イラク戦争時、イラク人を収監したアブグレイブ刑務所で行われた、
イラク人への虐待、殺害、人権蹂躙の実態が日の下に晒された事件は記憶に新しい。
目隠しされた全裸のイラク人男性を並ばせて、くわえタバコの若い女性兵士がニカッと笑う映像に
背筋を寒くした人は決して少なくないだろう。
収監されたイラク人の過半数以上は、テロ行為との関わりなど一切持たない無辜の一般人だった。
テロ撲滅、平和維持の大義名分を掲げたアメリカが行った事は、現代のアウシュビッツを
彷彿とさせる事件となった。
abu ghraib
人前で全裸になることに抵抗のない人が居るだろうか?
イスラムの教えは中東地域では絶対的な教えです。
そのイスラムは、人前で全裸になることを厳しく禁じています。
子供にも徹底しています。
(スクールキャンプに参加した子供にイスラム圏の子供がおり
この子は、みんなと大浴場で一緒に入浴することさえ拒みました)
それを強要されることは最大の恥辱なのだ。
興奮させた軍用犬をけしかけられ、裸体のままで恐怖を感じない人がいるだろうか?
軍隊は一般社会に比べて、上下関係が徹底している。
つまり上官からの命令がない限り、このような行いはしない。
イラク人の尊厳を最大限に傷つける形での虐待を命じられていたとしか考えられない。
NHKスペシャルでは、くわえタバコで笑い、イラク人の首に巻きつけられているロープを持って
写真に納められたリンディ・イングランドのインタビューにスポットをあてていた。
(彼女は、不品行の罪で軍を追われ3年の刑に服した)
インタビュアーが『なぜあの時笑っていたのですか?』と聞くと
彼女は言った。
日常的な光景だった。上官(彼女の恋人)に言われた通りにしたまでのこと。
彼が喜ぶならそうしようと思っただけ。
いくら厳しい上下関係があるとはいえ、人としての善悪の判断が出来なくなる状況は
簡単に生まれるものなのだろうか?
この事件は、内部告発した一人の青年によって明らかにされた。
日本では『内部告発』は勇気ある行動として讃えられる傾向があるが、アメリカでは
『裏切り者』として蔑視される傾向があるという。
この青年は報復を恐れていた。
しかし、ラムズフェルドに「不義を告発した勇気ある青年」と国営放送で姓名を明らかにされてしまった。
ラムズフェルドは事件を明らかにすることで、開かれた軍と不義を憎む姿勢をアピールしつつ、
この青年を威嚇したのだ。
ラムズフェルドがこの事件を写真と共に知った時、怒りを露にしたという。
しかしその怒りは、非人道的な行いに対する怒りではなく、写真が現存していたことに対する怒りだった。。。
告発した青年は故郷の人々から売国奴のレッテルを貼られ、今なお身を隠すようにひっそりと暮らしている。
この事件発覚によりラムズフェルドに辞任要求したのは、バイデンとマケイン(ネオコン系)だった。
彼らはどうしてもラムズフェルドを辞任に追い込みたかったのだ。
バイデンもマケインも良いトコあるじゃん、、、っと思ったが、これにはカラクリ有。
ラムズフェルドは兵役を公募としていたが、バイデンとマケインは徴兵制を唱えていたから。
はい、アメリカが徴兵制を採ったらネオコン系は大はしゃぎ。
自国で訓練するよりも、適当な大義名分を掲げた戦争が始まれば儲かりますからね。
オバマ氏はとんだモンを拾ってしまったのではないだろうか?
拾った、、、というよりずっとソコにあり続ける巨大な岩のようなものかもしれない。。。
少し話しがズレましたが、
アブグレイブはまだ存在している。
報道されない事件は、暗い闇の中で続けられている。
イラク人に憎まれる行いをわざとしている。
上官に命じられている通りに。
アメリカは、どうしてもイラクと戦争したくて仕方ないのだ。
イラクからの宣戦布告を待っているのだ。
イラクが先に手を出せば、アメリカの巨大な軍を前に散ることになるだろう。
それを認識しているからイラクは怒りを腹に収めている。
世界覇権を狙うアメリカは手段を選ばない。
でも最近お金がない!
あ、だから中国に擦り寄ってるのか。。。
恐いなぁ。。。
参考
アブグレイブ虐待で有罪になった米国女性兵士へのインタビュー
イラク情勢ニュース
低迷していた名古屋に、快く来てくれたヨンセン。
いつも礼儀正しくて、明るかったヨンセン。
ずっとチームを支えてきてくれたヨンセン。
人柄の良さは、プレーを見ていればわかる。
FWなのに仲間をカバーし、時には守備に徹し、ピッチを縦横無尽に駆け回っていたヨンセン。
見事なゴールが決まっても、必ずアシストを褒めて労い、常に謙虚なヨンセン。
セレモニーで必ず子供たちに話しかけてくれていたヨンセン。
ファンサービスにはいつも嫌な顔ひとつせずに応じてくれたヨンセン。
試合後にも関わらず、家の近所の日本人サポと気軽に食事の約束をかわすヨンセン。
目が合えば必ず挨拶してくれたヨンセン。
たくさんのゴールをありがとう。
批判ばっかりだった一時期に、貴方が居てくれるおかげで黙ったサポは大勢居るはず。
ありったけの感謝を込めて。。。
ありがとう。
本当にありがとう。
涙が出てきちゃうよ。。。
名古屋サポは貴方が何処へ行っても、ずっと愛しつづけることでしょう。
Frode Johnsen goal 2006.7-2008.5
財政難と医師不足 銚子市立総合病院が診療休止
市営での存続が困難となった千葉県銚子市の市立総合病院(393床)が30日を最後にすべての診療を休止した。「公設民営」で再建を目指すが、請負先の医療法人や再開時期はともに未定だ。2008.9.30
透析専門病院で医師ら16人一斉退職 大阪・堺
近畿大学医学部と提携している人工透析専門病院「長寿クリニック」(堺市南区)で9月末、常勤医師や看護師、薬剤師ら職員16人が一斉に退職していたことが5日、分かった。経営陣の内紛が背景にあるとみられ、ほかにも10人以上が退職の意向を示し、10月からは新規患者の受け入れをストップした。130人以上の患者が転院を余儀なくされており、事態を重く見た大阪府は近く行政指導に乗り出す方針を固めた。2008.10.6
阪南市立病院、医師8人が辞表提出 新市長就任日に
医師の大量退職から経営難に陥った大阪府阪南市立病院で、新たに確保した医師が新市長の病院経営見直しなどに反発し辞意を伝えている問題で、医師8人が12日、辞表を提出したことが分かった。この日就任した福山敏博市長は話し合って慰留する考えだが、市立病院の運営は再び厳しい局面を迎えた。2008.11.12
永年の医者不足が解消される見込みは無いのだろうか?
優秀な人材はいくらでも居るはずなのに。
医者がどんどん減っている。
特に産科は、ヘタすれば母子二人の命が一度に失われる可能性もあり激減している。
20年ほど前までは、医療ミスなどほとんど報じられていなかったのに、最近は酷い。
しかしこれは、最近になって医療ミスが多発しているのではなく、多かれ少なかれ昔からあったことなのだ。
人の命を扱う以上細心の注意を持ってしかるべきだけれども、人の手は完璧ではない。
例えば、一人の末期癌患者がいたとして、A医師の技術をもってすれば救えることがあっても
B医師の技術では救えないかもしれない。
それでも最善を尽くしていただいた上での死なら仕方ない。
けど、患者が亡くなってしまった場合の説明は、助かった患者への説明よりも
詳細に伝えなくてはいけない。
時間をかけて誠意を込めて伝えなくてはいけない。
時には謝罪すべきこともあるだろう。
その時は、逃げることなくちゃんと謝罪しなければいけない。
医療ミスが報じられることは、患者側にとっても病院側にとっても不幸なことなのだから。
現在の医療現場は全てとは言わないけれども、人員不足にもかかわらず最善を尽くしてくれているんじゃないかな。。。
昔と違って訴訟を起こされるようになったし、マスコミも騒ぐし(これはちょっと皮肉も込めて)。
私は闇雲に医療現場を庇うつもりはない。
訴訟を起こされても仕方ないケースもある。
以前は(特に地方では)何が起こっても非難することも躊躇われる、正当性を訴えても跳ね返される機関であったこともあるので、
その温床で培われた曖昧さが、今になって一気に攻撃対象になっているのかもしれないとすら思ってる。
攻撃される側にも攻撃する側にも、ちゃんと理由があるのだ。
現在、医者が不足している。
医師の確保は国、地方自治体、私の経営者の手腕によるものだけれど、迎えられた医師とどう接して行くのかという
未来への方針には、患者、その家族も関わってくることを忘れてはいけない。
医者は信頼されるべき行いをすべきだし、患者側は信頼を甘えに変えてはいけない。
オフコース : 生まれ来る子供たちのために
14日夕方、伯父が亡くなった。
御歳92歳というから大往生である。
伯父は私の養母の姉の夫にあたる方で、血縁関係はないのだけれど
影日向なく可愛がっていただき、お世話になった方だった。
昨日はその伯父の告別式で、久しぶりに親族が揃った。
9年振りに会う従姉60歳(伯父の娘)は、相変わらず美しくて凛として気丈に振舞っていた。
従姉の息子も娘も30を過ぎ、立派な大人に成長し目を見張った。
伯父の経歴を少々。
伯父は田舎の超エリートで、3代も天皇家を警護の近衛兵として仕えた。
戦後は某大手保険会社の支部長として、各地を転々とし、全国一位となった業績を評価されて
表彰されたこともある。
伯父の故郷の田舎町が、とある市に吸収合併される際に、時の町長に
『新しい時代とこの町を讃える詩を創って欲しい』
と請われて、詩を吟じたそうです。
故郷の山河を美しく詠み、今でもその詩は吟じられている。
引退後は、地方の復興とボランティア活動に身を投じた。
某大手自動車メーカーが工場を構える田舎の道路があまりにも味気なく感じて、
本社と各工場脇に見事な桜並木を整備したのも伯父だという。
これは告別式の弔辞で初めて知ったこと。
まったく自分を誇ることもなく、威張るでもなかった伯父らしい。
私の養父母が自営業を営んでいたため、私は小学校に上がるまでは、養父母の仕事が終わるまで、よく伯父の家で過ごした。
保育園のお迎えは従姉(当時23歳)。
彼女は当時結婚間近で、休日になれば旦那様になる彼氏と出かけていたけれども
必ず私を伴ってくれていた。
当時の彼(今はすっかりオヤジ・笑)にしてみれば、とんだ邪魔者だったことだろう(笑)。
伯父は大きな人だった。
暖かくて朗らかで、何事にも感謝する人だった。
その知識たるや湧き水のようで、もっと地元の歴史を聞いておけばよかったと悔やまれるくらい。
そんな伯父が20年ほど前に胃癌で大手術をし、生命が危ぶまれたけれども生還し
安心したのも束の間、また大きな手術をした。
そして徐々に弱っていき、妻に先立たれ息子に先立たれ、憔悴のあまり痴呆が顕著になってきた。
それでも、伯父は家族に愛されていた。
従姉が介護し、孫が寄り添い、大事に大事にされていた。
いや、ずっと敬われていたのであろう。
喪主の従姉が告別式の挨拶で語ったことが、非常に印象に残った。
『父は暖かい人でした。知識が豊富な人でした。人にも、物にも、出来事にも感謝出来る人でした。
歌が大好きな人でした。人が大好きな人でした。』
まさにその通りの伯父だった。
挨拶をした従姉がまた、スーパーウーマンで、この10年の間に、伯母(母親)、従兄(兄)、伯父(父親)の3人を同時に介護していたこともあるのだ。
一切の不平も文句も言わず、3人に尽くしている姿は『この優しさと強さと気力の源は何なんだろう』と
不思議に思ったくらい。
源は伯父から教わった感謝の心だったのかもしれない。
92歳の伯父の告別式は、涙が無かった。
従姉もそのご主人も、息子も娘にも涙は無かった。
皆、『よく生きてくれました、ありがとう』その言葉に尽きるのか
穏やかに故人を送っていました。
棺に花を添えるにも、供物を添えるにも、「行ってらっしゃい、またね」くらいの気持ち、、、なのだ。
そんなに大事にされる人って、なかなか居ない。
改めて徳が深く大きい人なのだと、告別式なのだけども感動した次第。