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英国皇太子ご夫妻が来日中です。
チャールズ皇太子の横に寄り添うのは、ダイアナ妃ではなく古いけど新妻カミラ夫人。
色んな意味で古いけど、、、古いけど。
故ダイアナ妃の生前、その人気はハンパではなくって、チャールズ皇太子より群をむいていたため、
夫である彼自身が嫉妬したほどといわれています。
今の皇太子妃は故ダイアナ妃を生涯苦しめたカミラ夫人。
チャールズ皇太子との結婚が決まった頃、その結婚を支持する英国民はわずか8%程度だったという。
それが現在では20%程度の支持を得るのに成功している。
公的な場での振舞いに長けているそうだ。
会話にセンスがあり、ユーモアもあると。
でも、そもそもカミラ夫人と故ダイアナ妃の振る舞いの違いを指摘するのは筋違いとも思うのです。
片やなまじ家柄がいいために箱入りで育った世間知らずの夢見る19歳。
そんな小娘を娶ったのが40歳独身、不倫継続中だったチャールズ皇太子。
そのお相手が、皇太子よりも年上の遣り手オババ。
チャールズと結婚したばかりの当時のダイアナ妃は、今にも泣き出しそうな表情ばかりだった。
それがまた可憐で愛らしいものだから憐憫をかったかもしれない。
それが、二人の王子を産み育てるうちに、凛とした強さと美しさを湛えるようになり、
実際に、皇太子とは離れた場所での公務に没頭していた。
地雷撲滅運動、戦災孤児を訪ねる彼女は、とても美しかった。
一方では売名行為だとか、有力者に加担したプロパガンダだとか、そんな声もあったけれど、
あの頃の彼女はとても美しかった。
故ダイアナ妃初来日の時の衣装がとても印象に残っています。
白地に赤の水玉のワンピース、白いつば広帽子に赤いリボン。
不慮の事故死は残念でなりません。
Candle In The Wind: A Princess Diana Tribute
えっと、それでナニが言いたいかっていうと、
チャールズ皇太子とカミラ夫人の永年のむにゅむにゅ関係に今更憤りを覚えているわけでもなく、
ちょこっと日本の皇室のことなどもね。
ダイアナ妃が亡くなったという悲報を知ったイギリス国民は、悲しみに打ちひしがれていた。
葬列を送る人々が参道にあふれていた。
或る人はうつむき、或る人はじっと葬列を見つめ、或る人は号泣していた。
辺りを悲しみが覆う光景だった。
彼女がいかに英国に愛されていたかという象徴的な場面です。
日本に目を向けたとき、ワタシは美智子皇后のためには泣く。きっとわんわん声を上げて泣く。
けれど、Princes Masakoのためには流す涙を持っていない。
心の病と言って5年も公務を休み、実家の連中とレジャー三昧の人のために泣けない。
誰がナンと言おうと泣けない。
参考
世に倦む日日 「皇太子は意を決して離婚の決断を - AERAの皇室特集記事から」より
人には過ちってモンがある。
若かりし頃だけで済むものでなく、いい歳くったヤツらにも、過ちってモンはある。
鯱美(とらよし)の謝りたいことリスト
・養父にせがんで飼ってもらったわんこ(柴犬・五郎)の世話をきっちりしなかったこと。
・・・ごめんなさい。
散歩も餌やりも、いつしか「ええぃ、面倒くせぇ」って感じになっていました。
いつも一緒に居てくれたのにね。。。
・5歳の時、養母が庭先で雀のヒナを見せてくれて「触ったらいけないよ、そっとしておいておやり」
・・・ごめんなさい、あまりにも可愛くて触ってしまいました。
触っているうちにこの雀のヒナは、私の掌の中で動かなくなりました。
言いつけを守らなくてごめんなさい。
・母に借りた大切なブローチ、どこかで落としてしまいました。
・・・代わりになるモノなんて無いよね。
ごめんなさい、ごめんなさい。
未だにちゃんと謝れてないんだけど、ごめんなさい。
ブローチの代わりになるもの、今一生懸命探しています。
・元旦那様と暮らしていた頃、共に暮らした柴犬2匹。
・・・だいちゃん、ふくちゃん、最後まで一緒にいられなくてごめんね。
五郎くんへの懺悔の気持ちもあって、君達と最後まで付き合うつもりだったんだけども。
ごめんね、ごめんね。
まだまだたくさんあるけど、たくさんあるけど、、、。
BRYAN ADAMS : PLEASE FORGIVE ME
若かりし頃のブライアン・アダムス。
妖精監督にそっくりだと思ってしまうのは、私だけだろうか?(笑)
7ヶ所に診療断られ妊婦死亡 脳内出血、赤ちゃんは無事
痛ましい事件です。
墨東病院は、緊急対応を必要とする妊婦や新生児を受け入れる都が指定した医療機関。当直に当たる産科医師の1人が退職し、妊婦が搬送された今月4日の土曜日は研修医1人が当直していた。都は、指定医療機関としての態勢に不備がなかったか経緯を詳しく調べる。
そんなこと言ったって、再発防止にはなるかもしれないけど、亡くなった方はどうやっても戻ってこない。
納得できない対処によって、失われずともよかった(かもしれない)命が消失したのは、
ご主人をはじめ遺族の方々には怒りと悲しみでやりきれない思いでしょう。
出産は命の危険が伴います。
病気でもナンでもない健康な女性が、ほんの少しのタイミングのズレで命を落とすことでもあります。
けれど、闇雲に医療技術が進歩し、医者にかかれば安心という神話も生まれてしまいました。
昨今の産婦人科の激減は、相次ぐ死亡事故を責め立てられ産科志望者が減少し、廃業する産科が後を絶たないことに起因しています。
私は41年前、愛知県内の或る産婦人科で生を受けました。
実母は小柄で痩せていたため、普通分娩は危険と診断されて帝王切開することになっていました。
しかし、出産当日になって普通分娩をすることになり、、、
出産後、医者に「ありがとうございました」の一言を残し、意識を失ったそうです。
それから3時間後に息を引き取りました。
死因は出血多量。
遺体洗浄のため別室に運ばれていった時、看護婦さんが手早くベッドのシーツを剥がしましたが、
そのシーツは血で真っ赤に染まっていたそうです。
このケースは完全なる医療ミスだと思いますが、産科に詳しい専門家の意見はどうなのでしょう?
体格の問題で帝王切開を余儀なくされていたのに、それが手術時の医者にきちんと伝わっていなかったこと。
術後の対応の不備。
養母は「病院に問い正したいことなどいくらでもあったけど、そんなこと言うと、うちの家族や親族はみんな診療拒否されちゃうからね…」
そう言って一言の恨み言すら残さず、粛々と病院を後にしたそうです。
やりきれない思い。。。
勇気を持って訴えるという手段もあるかもしれませんが、私にはなんとなく嫌なんですね。
賠償金を巡って裁判など、、、命に値段などありませんから。
起こってしまった不幸な出来事、それがたとえどんなに理不尽な事であっても、ぐっとぐっとこらえる。
昔はそんな時代だったのですけども。。。
この事件のご遺族が、どう動くかは見ないことにします。
やりきれない想い。。。
やりきれない想い。。。
心ん中で収めるのは、相当な覚悟が必要です。
そんな覚悟も、、、時にはするべきだとも思うのです。
George Winston : Longing Love
泣きたい時は泣きましょう。
笑える日が来るまでの準備期間なのですから。
私は個人で新聞購読をしていません。
会社で3大紙とそのスポーツ紙も地方紙もとっていますので。
はっきり言って毎日新聞など馴染みがなく、ごく稀に読む程度です。
日本人であれば、メディア関係者か余程の専門家でない限りわざわざ日本紙を英語で読むことなど、まず無いでしょう。
毎日新聞の英語版での愚挙を知ったのは、訪問先のねず吉さんの『ねずきちの ひとりごと』のこの記事です。
まずは是非一読してください。
重ねてこちらも是非『毎日新聞問題の情報集積wiki』
言葉にするのも嫌になるくらい醜悪な報道がされたのです。
ソースは毎日醜聞
この画像の中では「報道は5年間」とありますが、実際には9年続きました。
この画像の中では「ご批判は謙虚に受け止め削除する措置をとりました」とありますが、流れてしまった情報に対する謝罪も対処もありません。
こんな最低最悪な低俗記事によって、日本人のイメージがどれほど卑しめられたのかと思うと、怒りで身体に震えがくるほどです。
およそ9年にわたり、この醜悪記事を書き、世界中に発信し続けたのが、このバカ
この事実が発覚し毎日醜聞がとった人事措置がこちら。
なんと、責任者たる主要人物が昇進しているではありませんか。。。
なんてこったい。
低俗極まりない誤報を世界中に広めた実績が評価されたと考えざるをえませんねぇ。
およそ10年ですよ。
インターネットが普及し、誰でも世界中の情報が拾えるようになった時代の10年ですよ。
この10年の間に広まった日本人の汚れたイメージは、どうすれば消えるのでしょう?
日本が国連の常任理事国になれないのも、この毎日醜聞のお陰かもしれないのかな、、、と。
笑ってる場合ではありません。
日本人の尊厳を傷つけたオトシマエ、きっちりはっきりつけていただきましょう!!
海外での体験談
毎日醜聞、許すまじ!!
犯罪を推挙する極道新聞。
メキシコはずっと政府も警察もこういった組織から賄賂をもらって、犯罪を隠蔽し続けてきた。
この逮捕は画期的なもの。
なぜ猛獣が飼われていたのか、、、想像したくはないが易い。
犯人グループの出身国コロンビアは、犯罪大国。
誘拐も殺人も麻薬密売も、世界各国での発生率と比べて群を抜いている。
この逮捕を足懸かりに、犯罪組織が一掃されることを切に願わずにいられない。
Juanes : Qué pasa?
再びフアネス。
Qué pasa?(以下歌詞訳)
一体何が起こっているんだろう、と僕は自問する
今の世の中で何が起こっているんだろう、と僕は自問する
新聞で目にするのは毎度同じ恐ろしい話ばかり
無駄に命が落とされていく
何でこんなに戦争ばかりなのだろう
何でこんなに悲しみばかりなのだろう
一体何でなんだろう、何でなんだろう、と僕は自問する
一体何でなんだろう、と僕は自問する
何で愛がないんだろう、と僕は自問する
お互いを抱きしめる代わりに撃ち合うばかり
愛することを忘れてしまう
何でこんなに戦争ばかりなのだろう
何でこんなに悲しみばかりなのだろう
一体何でなんだろう、と僕は自問する
皆殺しあって、皆死んでいっている
そしてこの僕はそれが理解できないでいる
こんなに汚くなってしまったこの世の中はどうしたんだろう
一体何でなんだろう、何でなんだろう、僕は自問する
今日世界はどうなっちゃっているんだろう、と僕は自問する
こんなに不条理で陰鬱になってしまって
何で良いことが一つも起こらないんだろう
そして何で平和がここを通り過ぎることが一度もないんだろう
何で戦争しか起こらないんだろう
一体何でなんだろう、と僕は自問する
(終わり)
自問する側はいつでも被害者だ。
自問べきなのは他に居て、実際に戦争を起こしたヤツで、その戦争によって利益を得ているヤツで。
世界恐慌によってまた何処かで戦争が勃発しているかもしれない。
今、この瞬間にも。。。
パソコンをいじってって
「高円宮」を変換すると
「高窓飲み屋」
「聴取料」を変換すると
「超酒量」
機械にからかわれているのか、気が効いたシャレなのか?
毎年酒量が確かに増えており、友人とのメールのやりとりも飲み約束ばかりだから無理もないか(笑)
お酒にまつわる失敗など、数えあげたらキリがないけど
一番酷かったのは5年前、4年勤めた会社を辞めるにあたり送別会を開いてもらった時のこと。
送別会を開いてもらったのは、退社を1週間後に控えたある日。
わりと大きな雑居ビルの一角にある創作料理の店でした。
お開きになる直前に私からの一言と社長からの花束贈呈という場面。
その時にはもう相当酔ってはいたものの、「ここはひとつビシっと決めにゃイカン!」と気合を入れるため
化粧室に行き化粧直しをしようと席を立った。
しかし・・・見つからない。
ビルのワンフロアを探しても無い。
一つ上のフロアに行っても無い。
一つしたのフロアに行っても無い。
そのうちに何がなんだか分からなくなり、「トイレが無いなら帰ろ帰ろ〜う」と決めちゃった。
「ええい、駅まで歩くのも面倒くせぃ」
とばかりにタクシーで自分の部屋まで帰宅し、そのまま朝まで爆睡。
朝起きたら、携帯に着信とメールがわんさかさっさ。
「朝っぱらから何だ?」と内容を見れば、部下や同僚からのものばかり。
「何処にいるんですかっ?社長がお待ちですよーっ。」
「早く戻って来てくださーいっ!」
などなど。
夕べの記憶が蘇り、真っ青。冷や汗タラタラ。
どんな言い訳をも思いつかないし、思いつくわきゃない。
出社し、社長に平謝り。
そしたら社長は「ちゃんと帰れましたかぁ?ふほっふほっふほっ」とにこやかに笑っておられました。
(よかったぁ)
そんでもって、部下にも同僚にも上司にも幹事さんにも。
ほんっとにかっこ悪くて肩身の狭い思いをいたしました(苦)
中島みゆき : タクシードライバー
女だてらに飲みまくり、終電を逃してタクシーで帰宅することになったことも度々。
タクシーの運転手さんと楽しく会話するか、寝てしまうことがほとんどだったけど
一度だけ、車中で大泣きしたことがあった。
泣くことなどほとんど無いので、その分激しくて(笑)
その時は、信頼しとてもお世話になっていた上司が辞められた日だった。
最後の挨拶で握手を求められたら、一気にあふれてきた。
タクシーに乗り込みずっと泣き通しだった。
そのときの運転手さん、見かねて
「何か辛いことでも?」
「お、お、お世話にっ、なった・・・上司がっ・・・辞められることにっなって・・・残念で・・・ううっ」
「そういうこともありますが、しっかりしなさいよ。」
「はい、ありがとうございます。」
この曲を聴くと、お世話になった上司とあの時のタクシーのおじさんが鮮やかに蘇ってきます。
今は終電に間に合うように飲んでます(笑)