ラ・カンパニュラ

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2011.10.07 Friday

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2008.10.30 Thursday

英国皇太子ご夫妻来日によせて

 英国皇太子ご夫妻が来日中です。
チャールズ皇太子の横に寄り添うのは、ダイアナ妃ではなく古いけど新妻カミラ夫人。
色んな意味で古いけど、、、古いけど。

故ダイアナ妃の生前、その人気はハンパではなくって、チャールズ皇太子より群をむいていたため、
夫である彼自身が嫉妬したほどといわれています。

今の皇太子妃は故ダイアナ妃を生涯苦しめたカミラ夫人。

チャールズ皇太子との結婚が決まった頃、その結婚を支持する英国民はわずか8%程度だったという。
それが現在では20%程度の支持を得るのに成功している。

公的な場での振舞いに長けているそうだ。
会話にセンスがあり、ユーモアもあると。

でも、そもそもカミラ夫人と故ダイアナ妃の振る舞いの違いを指摘するのは筋違いとも思うのです。
片やなまじ家柄がいいために箱入りで育った世間知らずの夢見る19歳。
そんな小娘を娶ったのが40歳独身、不倫継続中だったチャールズ皇太子。
そのお相手が、皇太子よりも年上の遣り手オババ。

チャールズと結婚したばかりの当時のダイアナ妃は、今にも泣き出しそうな表情ばかりだった。
それがまた可憐で愛らしいものだから憐憫をかったかもしれない。
それが、二人の王子を産み育てるうちに、凛とした強さと美しさを湛えるようになり、
実際に、皇太子とは離れた場所での公務に没頭していた。

地雷撲滅運動、戦災孤児を訪ねる彼女は、とても美しかった。
一方では売名行為だとか、有力者に加担したプロパガンダだとか、そんな声もあったけれど、
あの頃の彼女はとても美しかった。

故ダイアナ妃初来日の時の衣装がとても印象に残っています。
白地に赤の水玉のワンピース、白いつば広帽子に赤いリボン。
不慮の事故死は残念でなりません。

Candle In The Wind: A Princess Diana Tribute


えっと、それでナニが言いたいかっていうと、
チャールズ皇太子とカミラ夫人の永年のむにゅむにゅ関係に今更憤りを覚えているわけでもなく、
ちょこっと日本の皇室のことなどもね。

ダイアナ妃が亡くなったという悲報を知ったイギリス国民は、悲しみに打ちひしがれていた。
葬列を送る人々が参道にあふれていた。

或る人はうつむき、或る人はじっと葬列を見つめ、或る人は号泣していた。
辺りを悲しみが覆う光景だった。
彼女がいかに英国に愛されていたかという象徴的な場面です。

日本に目を向けたとき、ワタシは美智子皇后のためには泣く。きっとわんわん声を上げて泣く。
けれど、Princes Masakoのためには流す涙を持っていない。

心の病と言って5年も公務を休み、実家の連中とレジャー三昧の人のために泣けない。

誰がナンと言おうと泣けない。


参考
世に倦む日日 「皇太子は意を決して離婚の決断を - AERAの皇室特集記事から」より



2008.10.29 Wednesday

エルトゥールル号遭難事件

 今日は少しばかり気分がささくれ立っていて、一生懸命いい話はないかと思い出していました。

見つかりました。

ご存知の方もおられるでしょうけど、是非ご覧ください。
いいお話で、アタシなんざ見る度に泣いてしまうのだ。

友好国トルコ



最後のテロップが特に粋でかっこいいのだ。

本日10月29日、トルコ共和国記念日。


なんかこんな日に思い出せて嬉しい。ちょっと感動。

2008.10.28 Tuesday

ごめんね、許してね(-人-)

 人には過ちってモンがある。
若かりし頃だけで済むものでなく、いい歳くったヤツらにも、過ちってモンはある。

鯱美(とらよし)の謝りたいことリスト

・養父にせがんで飼ってもらったわんこ(柴犬・五郎)の世話をきっちりしなかったこと。
 ・・・ごめんなさい。
   散歩も餌やりも、いつしか「ええぃ、面倒くせぇ」って感じになっていました。
   いつも一緒に居てくれたのにね。。。

・5歳の時、養母が庭先で雀のヒナを見せてくれて「触ったらいけないよ、そっとしておいておやり」
 ・・・ごめんなさい、あまりにも可愛くて触ってしまいました。
   触っているうちにこの雀のヒナは、私の掌の中で動かなくなりました。
   言いつけを守らなくてごめんなさい。

・母に借りた大切なブローチ、どこかで落としてしまいました。
 ・・・代わりになるモノなんて無いよね。
   ごめんなさい、ごめんなさい。
   未だにちゃんと謝れてないんだけど、ごめんなさい。
   ブローチの代わりになるもの、今一生懸命探しています。

・元旦那様と暮らしていた頃、共に暮らした柴犬2匹。
 ・・・だいちゃん、ふくちゃん、最後まで一緒にいられなくてごめんね。
   五郎くんへの懺悔の気持ちもあって、君達と最後まで付き合うつもりだったんだけども。 
   ごめんね、ごめんね。

まだまだたくさんあるけど、たくさんあるけど、、、。

BRYAN ADAMS : PLEASE FORGIVE ME




若かりし頃のブライアン・アダムス。
妖精監督にそっくりだと思ってしまうのは、私だけだろうか?(笑)


 


 


2008.10.26 Sunday

怒りと悲しみの収め方

7ヶ所に診療断られ妊婦死亡 脳内出血、赤ちゃんは無事


痛ましい事件です。

墨東病院は、緊急対応を必要とする妊婦や新生児を受け入れる都が指定した医療機関。当直に当たる産科医師の1人が退職し、妊婦が搬送された今月4日の土曜日は研修医1人が当直していた。都は、指定医療機関としての態勢に不備がなかったか経緯を詳しく調べる。

そんなこと言ったって、再発防止にはなるかもしれないけど、亡くなった方はどうやっても戻ってこない。

納得できない対処によって、失われずともよかった(かもしれない)命が消失したのは、
ご主人をはじめ遺族の方々には怒りと悲しみでやりきれない思いでしょう。

出産は命の危険が伴います。
病気でもナンでもない健康な女性が、ほんの少しのタイミングのズレで命を落とすことでもあります。
けれど、闇雲に医療技術が進歩し、医者にかかれば安心という神話も生まれてしまいました。
昨今の産婦人科の激減は、相次ぐ死亡事故を責め立てられ産科志望者が減少し、廃業する産科が後を絶たないことに起因しています。

私は41年前、愛知県内の或る産婦人科で生を受けました。
実母は小柄で痩せていたため、普通分娩は危険と診断されて帝王切開することになっていました。

しかし、出産当日になって普通分娩をすることになり、、、
出産後、医者に「ありがとうございました」の一言を残し、意識を失ったそうです。
それから3時間後に息を引き取りました。
死因は出血多量。

遺体洗浄のため別室に運ばれていった時、看護婦さんが手早くベッドのシーツを剥がしましたが、
そのシーツは血で真っ赤に染まっていたそうです。

このケースは完全なる医療ミスだと思いますが、産科に詳しい専門家の意見はどうなのでしょう?

体格の問題で帝王切開を余儀なくされていたのに、それが手術時の医者にきちんと伝わっていなかったこと。
術後の対応の不備。

養母は「病院に問い正したいことなどいくらでもあったけど、そんなこと言うと、うちの家族や親族はみんな診療拒否されちゃうからね…」

そう言って一言の恨み言すら残さず、粛々と病院を後にしたそうです。

やりきれない思い。。。

勇気を持って訴えるという手段もあるかもしれませんが、私にはなんとなく嫌なんですね。
賠償金を巡って裁判など、、、命に値段などありませんから。

起こってしまった不幸な出来事、それがたとえどんなに理不尽な事であっても、ぐっとぐっとこらえる。
昔はそんな時代だったのですけども。。。

この事件のご遺族が、どう動くかは見ないことにします。


やりきれない想い。。。
やりきれない想い。。。

心ん中で収めるのは、相当な覚悟が必要です。
そんな覚悟も、、、時にはするべきだとも思うのです。


George Winston : Longing Love



泣きたい時は泣きましょう。
笑える日が来るまでの準備期間なのですから。



2008.10.26 Sunday

毎日醜聞-巨大紙による誤情報タレ流し



私は個人で新聞購読をしていません。
会社で3大紙とそのスポーツ紙も地方紙もとっていますので。
はっきり言って毎日新聞など馴染みがなく、ごく稀に読む程度です。

日本人であれば、メディア関係者か余程の専門家でない限りわざわざ日本紙を英語で読むことなど、まず無いでしょう。

毎日新聞の英語版での愚挙を知ったのは、訪問先のねず吉さんの『ねずきちの ひとりごと』のこの記事です。
まずは是非一読してください。

重ねてこちらも是非『毎日新聞問題の情報集積wiki』


言葉にするのも嫌になるくらい醜悪な報道がされたのです。

ソースは毎日醜聞


この画像の中では「報道は5年間」とありますが、実際には9年続きました。
この画像の中では「ご批判は謙虚に受け止め削除する措置をとりました」とありますが、流れてしまった情報に対する謝罪も対処もありません。

こんな最低最悪な低俗記事によって、日本人のイメージがどれほど卑しめられたのかと思うと、怒りで身体に震えがくるほどです。

およそ9年にわたり、この醜悪記事を書き、世界中に発信し続けたのが、このバカ

この事実が発覚し毎日醜聞がとった人事措置がこちら

なんと、責任者たる主要人物が昇進しているではありませんか。。。
なんてこったい。

低俗極まりない誤報を世界中に広めた実績が評価されたと考えざるをえませんねぇ。

およそ10年ですよ。
インターネットが普及し、誰でも世界中の情報が拾えるようになった時代の10年ですよ。

この10年の間に広まった日本人の汚れたイメージは、どうすれば消えるのでしょう?

日本が国連の常任理事国になれないのも、この毎日醜聞のお陰かもしれないのかな、、、と。
笑ってる場合ではありません。

日本人の尊厳を傷つけたオトシマエ、きっちりはっきりつけていただきましょう!!


海外での体験談


毎日醜聞、許すまじ!!
犯罪を推挙する極道新聞。


2008.10.23 Thursday

メキシコの麻薬密売組織逮捕

メキシコはずっと政府も警察もこういった組織から賄賂をもらって、犯罪を隠蔽し続けてきた。
この逮捕は画期的なもの。

なぜ猛獣が飼われていたのか、、、想像したくはないが易い。

犯人グループの出身国コロンビアは、犯罪大国。
誘拐も殺人も麻薬密売も、世界各国での発生率と比べて群を抜いている。

この逮捕を足懸かりに、犯罪組織が一掃されることを切に願わずにいられない。

Juanes : Qué pasa?


再びフアネス。

Qué pasa?(以下歌詞訳)

一体何が起こっているんだろう、と僕は自問する
今の世の中で何が起こっているんだろう、と僕は自問する
新聞で目にするのは毎度同じ恐ろしい話ばかり
無駄に命が落とされていく

何でこんなに戦争ばかりなのだろう
何でこんなに悲しみばかりなのだろう

一体何でなんだろう、何でなんだろう、と僕は自問する
一体何でなんだろう、と僕は自問する
何で愛がないんだろう、と僕は自問する

お互いを抱きしめる代わりに撃ち合うばかり
愛することを忘れてしまう

何でこんなに戦争ばかりなのだろう
何でこんなに悲しみばかりなのだろう

一体何でなんだろう、と僕は自問する
皆殺しあって、皆死んでいっている
そしてこの僕はそれが理解できないでいる

こんなに汚くなってしまったこの世の中はどうしたんだろう
一体何でなんだろう、何でなんだろう、僕は自問する

今日世界はどうなっちゃっているんだろう、と僕は自問する

こんなに不条理で陰鬱になってしまって
何で良いことが一つも起こらないんだろう

そして何で平和がここを通り過ぎることが一度もないんだろう

何で戦争しか起こらないんだろう
一体何でなんだろう、と僕は自問する

(終わり)


自問する側はいつでも被害者だ。
自問べきなのは他に居て、実際に戦争を起こしたヤツで、その戦争によって利益を得ているヤツで。

世界恐慌によってまた何処かで戦争が勃発しているかもしれない。
今、この瞬間にも。。。





2008.10.23 Thursday

技術は凄いけど。。。

 こんな搭乗検査装置が導入されることになったら、飛行機嫌いの私など
ますます飛行機離れするだろうなぁ。

これってプライバシーの侵害などという温い問題ではなく、人権侵害じゃないの?

もし導入されることになったら、男性搭乗者には男性検査員が、女性には女性検査員が付くことに
なるとは思うけど、、、だからと言って犯罪は無くなるんですかねぇ。。。

しかし、服が透けて見えちゃう機械が発明されちゃいましたね。
この技術を応用した眼鏡とかが、その内に世に出てきたりしないだろうか?
うーむ。
男性は嬉しいかもしれないけど。
うーむ。

2008.10.20 Monday

人命救助に一役。

 心臓マッサージには「ステイン・アライブ」


成人病とか3大疾病が増加の一途を辿る昨今、巷の主要施設にはAEDが設置を義務付けられているほどです。
しかし、普段の生活で発作が起こったとしたら?

自宅では?
通勤途中の公道のド真ん中では?
食事に行った先では?

AEDを完備している状況下で発作が起こるとは限りません。

そこで、AEDに頼らずとも、人為的な力で細動を促すとして画期的だと思うし、有意義だと思う。

♪ha,ha,ha,ha,staying alive staying alive♪

このリズムが良いそうです。
覚えておきましょう。

この曲が選ばれたのは、全米で95%という高い認知度のためだそうです。
確かに懐かしい!
全曲を知っていなくても、サビの部分を覚えているだけで心臓マッサージのリズムは保てそうです。

何かあった時のために覚えておきましょう(笑)

Another one bites the dust : QUEEN




これは私が高校時代に熱狂したブリティッシュバンドのクィーン

ドラムのロジャーは美しいし、フレディーのパフォーマンスは醜悪だけど最高だし(爆)、
ベースのジョンはこの歌を作ったとは思えないほど冷静沈着だし、ブライアンのギターはキレキレだし。
これが20年前の映像とは、、、うぐぐ。

実はこの曲も、心臓マッサージには最適なリズム(1分間に108拍)だとして、推奨曲に挙げられたそうです。

しかし、決定的な欠点があったそうで。。。

この曲の邦題は「地獄への道連れ」。

まあ邦題でなくとも「他の誰かがクズを殺った」なんてタイトルの曲は、確かに蘇生行為に適してはいない(汗)。
Staying Alive は「生き延びる」って意味だし。

アタシは圧倒的にこの歌の方が好きなんだけれども(狂ってたし)、でもやっぱり自分が心臓マッサージをすることになったら、、、
この曲はアタマん中から追い払うだろう(笑)。



2008.10.20 Monday

父の背中〜鞍馬編

 本当は実家から古いアルバムの写真を探してアップしたいところなのだが、それも出来ないし
最近の写真は整理していないので、画像は後にアップすることに(気が向いたら・笑)


私の養父母はお米屋さんを営んでいた。
日曜日と祝・祭日以外は毎日、朝8時から夜8時まで働いていた。
GWなど関係なし。

年末も31日まで注文の餅の配達に明け暮れていたので、クリスマスなんて世間が家族そろって
ケーキを囲むなんて経験など無かった。

忙しくよく働く養父母からはなかなか相手にされなかったし、長期連休などとったことが無かったので
ゆっくりのんびりの家族旅行も無かった。

それでも忘れなれない想い出は、京都の鞍馬と岐阜のひるがの・高山・白川。

その想い出の鞍馬から・・・

鞍馬には源義経が天狗に兵法を学んだと云われる鞍馬寺がある。
商売繁盛・勝負事に霊験あらたかな寺とされて、参拝客が後を絶たない。

その鞍馬寺に、養父母・兄二人・私と家族5人で毎年参拝に行っていた。
この年中行事は、私が小学校に上がる前から中学1年まで続いたと記憶している。


私が小学校に上がる前といえば、、、かれこれ36・7年前のこと(笑)
このころの日本は、まだ週休二日制度など導入されておらず、土曜日は半ドン(午後休み)が
周流だった時代である。
現在では盛んな外食産業もコンビニもない時代のこと。
写真やテレビと同じ、古き良き、不自由ながらも豊かなモノクロの時代・・・。

我が家は土曜日でさえ平日と同じように働き(これは去年まで続いた)、鞍馬山詣でとなると、

仕事を夜8時に終えて食事を済まし、入浴を終えるのが午後9時半くらい。
ここまではいつもと同じ。
わたしは寝床につき、真夜中の2時に起こされる。
出発の時間。

養父母はそれまでどうしていたのだろう?
京都までの車の運転のため、養父は毎晩欠かさない晩酌を我慢して仮眠したのだろうか?
養母はお弁当を作っていたのだろうか?

大人になって思い返すと、養父母の常に真面目に懸命に生きていた姿を想い出し胸が熱くなる。

「鞍馬山(くらまさん)に行くよ、起きないと置いて行っちゃうよ〜」

そう言われて飛び起きる。
私のとって「くらまさん」は霊験あらたかな山であるとか寺であることなど理解できるはずもなく、
ただただ大好きな養父母と出かけられる、そう分かった瞬間に喜びは頂点に達していたのだから。

着替えさせてもらい、お弁当を持って車に乗り込む。
私はいっぱしの家族の一員のつもりでいるのだけれども、やっぱり保育園児。
何をするにしても危なっかしいらしく、歳の離れた二人の兄にからかわれ、なだめられ、
ぐずぐずと泣いたりと出発前に必ず一悶着があり、仕事に疲れ、無理している養父母は
閉口したことだろう。
(それでも手を上げられたことは一度も無かったので、本当に素晴らしい両親だったと思います。)

自宅を出発。
毎年毎年、「今年こそは鞍馬山に着くまで寝ないぞ」と思うのだが、走り始めて20分ほどで辿りつく
名神高速のIC。
オレンジ色の走行灯を見てはしゃぎまくってそのままzzz。

起きたらいつの間にか鞍馬山に着いてた。

鞍馬山参拝について具体的な事はまた折を見て語るとして、、、。


鞍馬に到着するのはだいたい午前5時〜6時前後。
山門をくぐって、、、歩き、、、主殿を詣でて休憩して、、、また歩き、、、途中の資料館で休憩して、、、また歩き、、、
木の根道を横目で見ながら、、、もくもくと歩き、、、奥の院まで。
そこで大休止。
遅めの朝食というか早めの昼食をとり、また来た道を戻る。

電車で来ていればそのまま貴船方面に向かうのもいいが、山門前の駐車場に車を停めているのでそうもいかない。

再び歩いて山門へ。
この時点で午後1時〜2時頃だったと思う。
そして帰るのだけれども、養父は必ず帰路は比叡山方面をとっていた。
延暦寺に寄って参拝しながら、途中にあるロープウェイに乗せてくれたり遊園地に寄ってくれたり。
私のための時間も作ってくれていました。。。
夕食は「お子様ランチ」のあるレストラン。普段相手に出来ない娘へのサービスのつもり(涙)。

帰宅は午後9時を過ぎていたと思います。
翌日の月曜日〜土曜日まで、また長い仕事の始まり。

昔の人はタフだったというかナンというか。。。
脱帽ですよ。。。

Paul Mauriat - Mamy Blue (1971)




父の想い出を語った後でMAMYかよっ?!って感じですが(笑)。
この曲は当時流行っていたのか、家族小旅行の車中で何度も何度も流れていました。

兄が集めたレコードコレクションの中にもありましたので、運転する父の隣に座っていた兄が
ラジオを触りまくって、好きな歌をセレクトしていたのでしょう。

養父は普段から、チャンネルを次々に変える行為を嫌がっていましたが、
兄がこの曲を探すのは嫌がりませんでした。

疲れ果てて怒る気力も無かったのか、帰宅するまでは子供へのサービスに徹していたのか、
さては後ろで眠る女房への想いだったのか、、、聴いてみたかったなぁ。。。






2008.10.19 Sunday

飲んでぇ〜飲んでぇ〜飲まれてぇ〜飲んでぇ〜。

パソコンをいじってって

「高円宮」を変換すると

「高窓飲み屋」

「聴取料」を変換すると

「超酒量」

機械にからかわれているのか、気が効いたシャレなのか?

毎年酒量が確かに増えており、友人とのメールのやりとりも飲み約束ばかりだから無理もないか(笑)


お酒にまつわる失敗など、数えあげたらキリがないけど
一番酷かったのは5年前、4年勤めた会社を辞めるにあたり送別会を開いてもらった時のこと。

送別会を開いてもらったのは、退社を1週間後に控えたある日。
わりと大きな雑居ビルの一角にある創作料理の店でした。
お開きになる直前に私からの一言と社長からの花束贈呈という場面。

その時にはもう相当酔ってはいたものの、「ここはひとつビシっと決めにゃイカン!」と気合を入れるため
化粧室に行き化粧直しをしようと席を立った。

しかし・・・見つからない。
ビルのワンフロアを探しても無い。
一つ上のフロアに行っても無い。
一つしたのフロアに行っても無い。

そのうちに何がなんだか分からなくなり、「トイレが無いなら帰ろ帰ろ〜う」と決めちゃった。

「ええい、駅まで歩くのも面倒くせぃ」

とばかりにタクシーで自分の部屋まで帰宅し、そのまま朝まで爆睡。

朝起きたら、携帯に着信とメールがわんさかさっさ。

「朝っぱらから何だ?」と内容を見れば、部下や同僚からのものばかり。

「何処にいるんですかっ?社長がお待ちですよーっ。」
「早く戻って来てくださーいっ!」

などなど。

夕べの記憶が蘇り、真っ青。冷や汗タラタラ。
どんな言い訳をも思いつかないし、思いつくわきゃない。

出社し、社長に平謝り。
そしたら社長は「ちゃんと帰れましたかぁ?ふほっふほっふほっ」とにこやかに笑っておられました。
(よかったぁ)

そんでもって、部下にも同僚にも上司にも幹事さんにも。
ほんっとにかっこ悪くて肩身の狭い思いをいたしました(苦)


中島みゆき : タクシードライバー



女だてらに飲みまくり、終電を逃してタクシーで帰宅することになったことも度々。
タクシーの運転手さんと楽しく会話するか、寝てしまうことがほとんどだったけど
一度だけ、車中で大泣きしたことがあった。
泣くことなどほとんど無いので、その分激しくて(笑)

その時は、信頼しとてもお世話になっていた上司が辞められた日だった。
最後の挨拶で握手を求められたら、一気にあふれてきた。
タクシーに乗り込みずっと泣き通しだった。

そのときの運転手さん、見かねて
「何か辛いことでも?」
「お、お、お世話にっ、なった・・・上司がっ・・・辞められることにっなって・・・残念で・・・ううっ」
「そういうこともありますが、しっかりしなさいよ。」
「はい、ありがとうございます。」

この曲を聴くと、お世話になった上司とあの時のタクシーのおじさんが鮮やかに蘇ってきます。

今は終電に間に合うように飲んでます(笑)






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