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(引用始)
2008-08-16 20:20:20
私の養父は大正15年生まれ、養母は昭和4年生まれで、正に戦争体験者です。
養父の口から戦争体験を聞いたことは皆無。兵役が決まってすぐに終戦となったため、働かずして生き残ったのを恥じていたようです。養母は今はほとんど語りませんが、私がまだ小学生だった頃は戦争の話しをぽつぽつと語っていました。
まだ生々しい記憶が残っていたのでしょう。
語られた内容のうち、一番強烈だった話を。。。
戦時下においても、不自由ながらもほのぼのとした市民の生活があり、近所付き合いも密接で、私の母も隣に住んでいた「小母さん」に機織りを教えてもらい、纏わり付きながら可愛がってもらったそうです。
ある日いつものように隣りの小母さんを訪ねたところ、機の前に居るはずの小母さんが居なくて、、、。
母は何か胸騒ぎを覚えて、家中を探したところ、
ようやく納屋で見つけました。
いつもの優しい小母さんと違うのは、赤くて冷たくなっていたこと。。。
小母さんには放蕩息子がおりました。
小母さん宅にその放蕩息子宛ての召集礼状が届いたのですが、小母さんには報せる術もなく。
お国の為に兵隊を送れない自分と息子を恥じ、
割腹し腸を引き出して首に巻き付けた姿で、暗い納屋に鎮座していたそうです。
「面目ありません」と床に真っ赤な書き置きを残して。
翌日の新聞一面は「見ヨ!軍国ノ母!」と。
人が死に、その死を悲しむどころか褒めたたえる狂気。
人が人ではない、何か別のモノに変えてしまうのが戦争。。。
戦没者の皆様に哀悼の意を込めて、死して尚、母国を護って下さるよう祈って…合掌
(引用終)
父、夫、兄、弟、男達は戦争に行く。
母、妻、姉、妹、女達は生還を祈って待つ。
そして男達が戻らなかった女達には、新たな戦争が待つ。
男達は戦争で同胞の死体の山を見たでしょう。
しかし、女達もまた無数に散らばる死体を見ました。
この多大な喪失感のうちに、女は参政権を得ました。
そして平和を語りました。
大戦中、そこいらにいる普通の女達は、国の政治がなんたるかなど、これっぽちの情報もなく、
勝手に戦争をする男の言うなりでした。
太平洋戦争が侵略戦争でなかったとか、田母神発言?村山談話?
知るかっ!
大切な人を失い、全てを失くした者には空論。
どんな判断がなされようとも、虚しい。
※男達だけの戦いの場合
男がぞろぞろと戦場へ入って敵と鉢合わせたら、どちらかが無力化されるまで殺し合うでしょうね。
※女達だけの戦いの場合
女が子連れで戦場に入って敵と鉢合わせたら、子供の泣き声一声で戦意は無力化されます。
ふんっ!
健康面に問題があって戦地に行く事を免れたくちです。
父の父(私の祖父)は超変わりもんのインテリじいさんで、そのことを大変喜んだそうです。この時代にこういう人はたぶんいなかったと思うのですが「天皇陛下の為、お国の為に死ぬなんてゴメンだ」というのが口癖だったそうで、私は小学生の頃この話を聞いて「じいさんやるじゃん!」と心の中で思ってました。
平和の話をすると「あいつきれいごといってるよ〜」っていわれそうで嫌なんですが、どの国が正義で、どの国が悪であるとかそんな事より、人間の命が一番だと思うわけです。
人間は、欲を捨てることが出来ない動物だという事を思い知らされます。「正当な自衛権」って誰がどんな基準で決めるんでしょう。ヤラレタラヤリカエス。この方法しかないんでしょうか。戦争が一部の人の利益だけ生み、他には何も生み出さない事はわかっているのに・・・
まきこまれた人達の命。生きたくても生きられなかった命。
戦争はもういい加減なくしたいです。