ラ・カンパニュラ

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2011.10.07 Friday

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2008.11.17 Monday

伯父の死:92歳大往生

14日夕方、伯父が亡くなった。
御歳92歳というから大往生である。

伯父は私の養母の姉の夫にあたる方で、血縁関係はないのだけれど
影日向なく可愛がっていただき、お世話になった方だった。

昨日はその伯父の告別式で、久しぶりに親族が揃った。
9年振りに会う従姉60歳(伯父の娘)は、相変わらず美しくて凛として気丈に振舞っていた。
従姉の息子も娘も30を過ぎ、立派な大人に成長し目を見張った。

伯父の経歴を少々。

伯父は田舎の超エリートで、3代も天皇家を警護の近衛兵として仕えた。
戦後は某大手保険会社の支部長として、各地を転々とし、全国一位となった業績を評価されて
表彰されたこともある。

伯父の故郷の田舎町が、とある市に吸収合併される際に、時の町長に

『新しい時代とこの町を讃える詩を創って欲しい』

と請われて、詩を吟じたそうです。
故郷の山河を美しく詠み、今でもその詩は吟じられている。

引退後は、地方の復興とボランティア活動に身を投じた。
某大手自動車メーカーが工場を構える田舎の道路があまりにも味気なく感じて、
本社と各工場脇に見事な桜並木を整備したのも伯父だという。

これは告別式の弔辞で初めて知ったこと。

まったく自分を誇ることもなく、威張るでもなかった伯父らしい。


私の養父母が自営業を営んでいたため、私は小学校に上がるまでは、養父母の仕事が終わるまで、よく伯父の家で過ごした。
保育園のお迎えは従姉(当時23歳)。
彼女は当時結婚間近で、休日になれば旦那様になる彼氏と出かけていたけれども
必ず私を伴ってくれていた。
当時の彼(今はすっかりオヤジ・笑)にしてみれば、とんだ邪魔者だったことだろう(笑)。

伯父は大きな人だった。
暖かくて朗らかで、何事にも感謝する人だった。
その知識たるや湧き水のようで、もっと地元の歴史を聞いておけばよかったと悔やまれるくらい。

そんな伯父が20年ほど前に胃癌で大手術をし、生命が危ぶまれたけれども生還し
安心したのも束の間、また大きな手術をした。
そして徐々に弱っていき、妻に先立たれ息子に先立たれ、憔悴のあまり痴呆が顕著になってきた。

それでも、伯父は家族に愛されていた。
従姉が介護し、孫が寄り添い、大事に大事にされていた。
いや、ずっと敬われていたのであろう。

喪主の従姉が告別式の挨拶で語ったことが、非常に印象に残った。

『父は暖かい人でした。知識が豊富な人でした。人にも、物にも、出来事にも感謝出来る人でした。
 歌が大好きな人でした。人が大好きな人でした。』

まさにその通りの伯父だった。

挨拶をした従姉がまた、スーパーウーマンで、この10年の間に、伯母(母親)、従兄(兄)、伯父(父親)の3人を同時に介護していたこともあるのだ。

一切の不平も文句も言わず、3人に尽くしている姿は『この優しさと強さと気力の源は何なんだろう』と
不思議に思ったくらい。

源は伯父から教わった感謝の心だったのかもしれない。


92歳の伯父の告別式は、涙が無かった。
従姉もそのご主人も、息子も娘にも涙は無かった。
皆、『よく生きてくれました、ありがとう』その言葉に尽きるのか
穏やかに故人を送っていました。

棺に花を添えるにも、供物を添えるにも、「行ってらっしゃい、またね」くらいの気持ち、、、なのだ。

そんなに大事にされる人って、なかなか居ない。
改めて徳が深く大きい人なのだと、告別式なのだけども感動した次第。



知床旅情 : 加藤登紀子



これは伯父が愛した曲。
何度も何度も伯父の口から聴いた曲。

近衛として戦争に赴いたこともある伯父は、何人もの逝く人を見てきた。
昨日一緒に笑った同胞が、まだ幼い顔をした後輩が。

伯父自身も右手首に銃弾を受け、右手は後まで動かなかった。

辛い時代の犠牲者を弔うために歌っていたのかもしれない。。。

もうひとつ、伯父が好きだった曲は、舟木一夫さんの学園広場。

亡くなる2・3日前、酸素マスクを装着されても、大きな声で学園広場を歌っていたそうである(笑)。
伯父らしい!

惜しまれつつも、穏やかな気持ちで送られる死。

すごいなぁ。。。

私は、最後の最後で、従姉の顔を見たら涙が出て、伯父の想い出が溢れてきて大泣きするところだった。

そしたら従姉が、

『んまー、アンタ泣き上戸だったのぉ~?泣いたらイカンよぉ~』

と言って穏やかに笑うのだ。
ひそかに涙をぬぐっていたのは知ってるけど、笑うのだ。。。

スゴイ人だな、、、かっこいい人だな、、、って思って。

こんな女性を育てた人が伯父だったんだな、、、って思って。

お世話になった人が亡くなるのは悲しいことだけど、なんて穏やかなんだろう。
かっこいい生き方したいなぁ。。。


伯父様へ、多謝(合掌)
















2011.10.07 Friday

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コメント

すばらしいおじいさまだったのですね。
読んでるボクまでなんだかすごく尊敬していまいそうです。
どうぞお気をおとさずに。
ご愁傷さまです。
合掌
2008/11/17 9:02 PM by ねずきち
>ねずきち様

コメントありがとうございます。

伯父は老若男女問わずにモテた人でした。^^
居てくれるだけで、場を和ませる人でした。
10年前、一足先に逝った伯母の元へいそいそと出かけたような感じです。

従姉が気丈に振舞っているのに、私が泣くわけにはいきません。
元気が出る歌でも歌いながら踏ん張らなくては!(笑)

お気遣いありがとうございます(*^-^*)
2008/11/18 12:18 AM by 鯱美
すてきな伯父さまをもってアワビ様は幸せですね。
従姉さまをはじめとしてすばらしい家族に囲まれ、暖かい気持ちで天国の伯母さまのところで今頃くつろがれていることでしょう。歳をとっていく事。特にこのごろ切実な問題に感じます。自分はもちろんのこと、親のこと、友達。もし自分が病気になってしまったら子供はどうなるのか・・・。
ノー天気な私でも悩む事はあります(笑)
もし問題に直面したら、逃げずに、又、気負いすぎずに立ち向かっていきたいと思う今日この頃です。
2008/11/18 7:44 PM by 14番目の月
>14番目のお月様

コメントありがとうございます。

伯父は約10年もの被介護者として娘の世話になっていたのですが、
従姉がすること一つ一つに『ありがとう、ありがとう』って手を合わせるのですよ。
そんな姿が可愛らしくてもっともっと何かしたくなっちゃったんですって。

思うに従姉の介護の姿勢は『〜してあげる』ではなく『〜させてもらう』でして。
なんか感動的ですよね?

親子といってもお互いを尊重し合って「ありがとう」が言えるだけで、
心は軽くなるのではないかと、、、。
未経験だからこんな甘いことを言えるのかもしれませんけど。

誰しも介護者にも被介護者にも成る可能性がありますが
どんな状況でも感謝の気持ちだけは忘れないようにしたいな、、と伯父と従姉を見て思いましたね^^


2008/11/18 9:19 PM by 鯱美
僕もこの唄が大好きです。
子供の頃から良く聴かされたせいか、
今でもカラオケでは歌っちゃう曲です。

学生時代、夜中の知床に到着しその辺の駐車場に止めて車中で寝込んだ後、
翌朝起きたら観光バスから降りてきたオバチャンに囲まれた、
なんて思い出も懐かしい。
だから私の変な思想はともかく、
択捉は諦めても国後は返してもらわないと、なんて思うな〜。
2008/11/19 1:16 AM by tk
>tk様

コメントありがとうございます。
加藤登紀子さん、昔から歌がお上手で今も全然変わらないですね。
本当に素敵な歌だと思います。

私は5年程前に知床に行ったことがあります。
泊まった宿のご主人と夕食時に飲んで笑って大盛り上がり。
そしたら妙に気に入られて(笑)、翌日はご主人の船で、知床岬の最先端まで連れて行ってくれました。

旅行会社のツアーでは絶対に行けない場所だけに大感激!

船が港(魚場?)を泊め、ふっと水中を見ればウニがびっしり!
きゃぁきゃぁテンションが上がったのだけども、満ち潮で採れないとのこと、、、知床の冷たい風が吹きっぱなしでした(笑)。

そのご主人が、すぐ近くに見える国後島を見て「あそこが遠いんだよな。。。」っとつぶやいていたのが
私には身近ではない問題が現実的に思えた瞬間でしたね。。。
2008/11/19 8:34 PM by 鯱美

噂の社会派ブログ初めて拝見しました。
 ひねくれ者なので、皆がほめているとけなしたくなるのですが、
 右に同じく大絶賛です。なかなかこれだけの文章を書ける人はおりません。(パチパチ)

 私もTKさんと同じ経験をしたことがあります。
 免許取り立ての頃ですから、30年も前になります。
 やはり夜中に羅臼の街に着き、駐車場で仮眠を取ったのですが、・・・
 朝起きたら爺さんの銅像が目の前にあるのに気がつき、よく見たら森重久弥の銅像でした。
 森重久弥の「知床旅情」も味わいが深いですよね。

 私の親類は私自身を含めて不細工な一族でして、まあ世間に対して自慢できることなど全くありません。

 司馬遼太郎氏の「街道を行く」の中に私の大伯父の事が書かれています。
 私にとっては、単なる飲んべえでイヤミなジジイなのですが、
 本の中ではまさに聖人(坊主ですが)。

 司馬氏はお寺に泊まっては、その地方の話を聞いていたらしく、私の大叔父も一宿一飯の恩を売ったと言うことなのでしょう。

 「坂本龍馬は司馬遼太郎の創作物」なんて話もあります。実際の龍馬はたいした人物ではなかったと。
 あのイヤミなジジイを大人物に仕立て上げたのだから・・・。そんな風に同じ血をひくイヤミな私は思ってしまうのです。
 
2008/11/20 10:37 PM by 山奥
山奥様

コメントありがとうございます。
お越しくださって、まっことにありがとうございます(ぺこり)

社会派ブログなどと、一体どこのお方が申されますやら。。。きっとドコゾの酔っ払いの戯言ですよ(笑)
にゃはは。

>私もTKさんと同じ経験をしたことがあります。

そう伺って、

 起きるれば あたり一面 オババかな

と同じ情景かと思えば、最後のところが「久弥かな」
だったわけですね(笑)。

山奥様の大伯父様が、飲んべえでイヤミなジジィ(失礼!)だとしても、
司馬氏のような大人物に描かれるのであれば、ものスゴイことじゃないですか!
そんな裏話を伺うと、読みたくなります。(明日買ってこよっと)

若い頃はイヤミで偏屈で頑固な人など、無条件で却下していましたが、
なんだか味わい深くて親近感を覚えるようになりました。
私も歳を重ねて、ソレに近くなりつつあるのかもしれません(笑)

司馬氏は多くの著書を残しておられますが、出版社から色々と注文をつけられて葛藤があったそうです。

『ピンクの場面が無ければ売れないから入れてくれ』

売れっ子作家としての不本意な脚色もあったようです。

坂本龍馬もしかり。

実際の龍馬は剣術も実は苦手で、当時の武士が二尺二寸(ほど?)の刀を持つのが主流だった頃、
龍馬は二尺五寸(ほど?)の長い剣を持つようになり
 『時代遅れじゃのう』
とあざ笑い、
ならばと長剣を持つ武士が増えた頃になると、龍馬は銃を持ち、また
 『時代遅れじゃのう』
と笑ったそうでして。

いやはや(笑)

司馬氏も相当イヤミで偏屈な部分があったので共感を覚えるのではないでしょうかね?

あれ?これってフォローになってないかな…?(笑)

イヤミも偏屈も頑固も味わい深いですよ。
(傍から見てる分には…)






2008/11/21 2:22 AM by 鯱美

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