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14日夕方、伯父が亡くなった。
御歳92歳というから大往生である。
伯父は私の養母の姉の夫にあたる方で、血縁関係はないのだけれど
影日向なく可愛がっていただき、お世話になった方だった。
昨日はその伯父の告別式で、久しぶりに親族が揃った。
9年振りに会う従姉60歳(伯父の娘)は、相変わらず美しくて凛として気丈に振舞っていた。
従姉の息子も娘も30を過ぎ、立派な大人に成長し目を見張った。
伯父の経歴を少々。
伯父は田舎の超エリートで、3代も天皇家を警護の近衛兵として仕えた。
戦後は某大手保険会社の支部長として、各地を転々とし、全国一位となった業績を評価されて
表彰されたこともある。
伯父の故郷の田舎町が、とある市に吸収合併される際に、時の町長に
『新しい時代とこの町を讃える詩を創って欲しい』
と請われて、詩を吟じたそうです。
故郷の山河を美しく詠み、今でもその詩は吟じられている。
引退後は、地方の復興とボランティア活動に身を投じた。
某大手自動車メーカーが工場を構える田舎の道路があまりにも味気なく感じて、
本社と各工場脇に見事な桜並木を整備したのも伯父だという。
これは告別式の弔辞で初めて知ったこと。
まったく自分を誇ることもなく、威張るでもなかった伯父らしい。
私の養父母が自営業を営んでいたため、私は小学校に上がるまでは、養父母の仕事が終わるまで、よく伯父の家で過ごした。
保育園のお迎えは従姉(当時23歳)。
彼女は当時結婚間近で、休日になれば旦那様になる彼氏と出かけていたけれども
必ず私を伴ってくれていた。
当時の彼(今はすっかりオヤジ・笑)にしてみれば、とんだ邪魔者だったことだろう(笑)。
伯父は大きな人だった。
暖かくて朗らかで、何事にも感謝する人だった。
その知識たるや湧き水のようで、もっと地元の歴史を聞いておけばよかったと悔やまれるくらい。
そんな伯父が20年ほど前に胃癌で大手術をし、生命が危ぶまれたけれども生還し
安心したのも束の間、また大きな手術をした。
そして徐々に弱っていき、妻に先立たれ息子に先立たれ、憔悴のあまり痴呆が顕著になってきた。
それでも、伯父は家族に愛されていた。
従姉が介護し、孫が寄り添い、大事に大事にされていた。
いや、ずっと敬われていたのであろう。
喪主の従姉が告別式の挨拶で語ったことが、非常に印象に残った。
『父は暖かい人でした。知識が豊富な人でした。人にも、物にも、出来事にも感謝出来る人でした。
歌が大好きな人でした。人が大好きな人でした。』
まさにその通りの伯父だった。
挨拶をした従姉がまた、スーパーウーマンで、この10年の間に、伯母(母親)、従兄(兄)、伯父(父親)の3人を同時に介護していたこともあるのだ。
一切の不平も文句も言わず、3人に尽くしている姿は『この優しさと強さと気力の源は何なんだろう』と
不思議に思ったくらい。
源は伯父から教わった感謝の心だったのかもしれない。
92歳の伯父の告別式は、涙が無かった。
従姉もそのご主人も、息子も娘にも涙は無かった。
皆、『よく生きてくれました、ありがとう』その言葉に尽きるのか
穏やかに故人を送っていました。
棺に花を添えるにも、供物を添えるにも、「行ってらっしゃい、またね」くらいの気持ち、、、なのだ。
そんなに大事にされる人って、なかなか居ない。
改めて徳が深く大きい人なのだと、告別式なのだけども感動した次第。